進路を決めたとき

気がついたら好きだった絵、成長と共に作風は変わりつつも、ずっと描き続けていた。
中学、高校へ進む頃には、「絵が上手い人」というキャラクターが認知されていたようで、卒業文集に掲載する先生の似顔絵を頼まれたり、記念品としてクラス全員の似顔絵を描いてマグカップを作ったり。

時を同じくして、音楽を好きになった私。
中学3年生の時に初めてライブに行った。
地元の高校の文化祭で行われた“CURIO”と“プロペラ”のライブ。
歌ったり叫んだり踊ったり、自分でも知らなかった意外な自分の一面を知った日だった。
それからというもの、多い時で週3回のライブ。
持てるお金の全てをつぎこんで、のめり込んでいった。

でも、ただ行くだけではない。

好きなバンドのライブスケジュールを調べて掲載したチラシ、リストバンドや缶バッジなどのグッズ、勝手にデザインをおこしては持ち込んで、出演を終えたメンバーに直接売り込んでいたのだ。

今思うと、なんて無鉄砲なのだろうと感じる。
けれど、新宿のライブハウスに私が作ったチラシを貼ってくれたバンドど、私が作った携帯の待受画像をホームページからダウンロードできるようにしてくれたバンドがいた。

将来の夢を聞かれて答えていた職業は、画家。
いまいち現実的に考えられていなかったのだけど。

でも、デザインが採用された時、「これを仕事にする!」とハッキリと心に決めた。
バンドのことやオーディエンスのことを想像して、考えて、出来あがったデザインが、採用してもらえて、そして喜んでもらえた事に、涙が出るほど感銘を受けたからだ。

絵を描く時も、デザインする時も、いわゆる「降りてくる」感覚がある。
そして、デザイン系の専門学校へ進学する。

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